PostedBy"KuroD"

Twitterのような感じで、適当に呟くブログとなります。

2章 本気で転職を考える

介護職に就いてから早くも1週間が経った。期待と不安で入り混じる中、自分を変えたい一心でこの場所を選んだ。だが、この仕事に対しての意欲というのは完全に薄れた。

 

長すぎる勤務時間、罵詈雑言しか言わない職員、常に目まぐるしく変化していく仕事内容など、全てが驚き、全てがやる意味がなくなった。

 

自分自身、性格上長続きしないタイプで、何かと理由をつけて辞めてしまうことが多い。だから屁理屈であることは自分がよく分かっているし、理屈っぽい所も理解している。しかし、人間として「得意」「不得意」は必ずある。僕としてはこの場所は「不得意」と判断した。まあ、まだ何年も継続していない時点で決めつけるのはおかしい話だが、影で「ゆとり世代はこれだから困るよな」って言われても、別に構わないと思っている。適職とは感じない以上は、どんなにやっても上手くいかないものだと思うからだ。

 

無理はするつもりはない。今の現状は転職をすること。そして2度と、介護の道に進もうとしない事を決めた。いつだって僕の人生は「ここだ!」と思ったほど失敗してばかりだが、どうせ失敗だらけの人生ならば、これを機にもう一度だけリベンジする気は無い。

 

 

はい、不定期更新のだーれも見てない(多分)ブログをまた書きました。いやあホントにこの場所は嫌ですね、つくづく「俺はバカなんだな」って思います。では次にお会いしましょう。

 

 

今日は愚痴を書かせてください。

俺は自分にとって、自信を持てる仕事がしたいと思って介護職に進んだ。だが、ようやく分かったよ。向いていないって事を。

 

介護ってのは過酷だ。どこの企業でも、どこの業種でも、まあ大体は勤務時間はあるし、早番や遅番みたいのだってある。労働基準法に則り、元々の勤務時間よりも長くは仕事出来ないのも知っている。だが、面接時に9時間半だって言われたのに、結局11時間15分で、それはもう未経験や経験者問わずでみんなそんな感じ。休憩は1時間でカラダが持たなくなる。

 

1番腹が立つのは、自らの言動にかなりの自信を持っている職員だ。

 

一般的に誇りを持っているんだなと思うが、実際はそうじゃない。介護職のいち職員ではあるものの、自分の実年齢である40代をネタとはいえ「ピチピチギャル」と言ったり、認知症を患っている人に対しては「あいつ使えねーな」って陰口だって言う。自分が中心となって行動しているから、他人の良い行いよりもダメなところばかりが目に行く。気に入らない奴はとことんなく暴言を吐く。確かにその人だって仕事としてやっている以上はつらいのだろうが、しかし和やかな空気が雰囲気として伝わるこの場所に、土足でドカドカと歩いていくように言葉の暴力を入居者、及びほか職員に八つ当たりをしていく。多少の文句であればまだしも、「私は偉いんだ。それは当然だろ?」と色んな人にそう言い聞かせる。立場的には俺も経験のある職員も下になるので、ここぞとばかりに不平と不満をぶちまける。「つらいことがあるならいつでも聞いていいよ」と言うから「実はですね…」って言っても、まるで長文を読み上げるようにベラベラと喋る。説教も、哲学的なものも全部だ。そしてそれが終わると、「いいこと言ったな私」と満足気な顔をする。まるでその空間だけ頂点に立つ者のように振る舞う。因みにヘビースモーカーだから歯並びも汚いし、笑い声も汚い。

 

「介護の閉鎖的なイメージを変えたい!」というのは確かだ。それは伝わる。だが現状は、見ていないと思いこんで鼻をほじるいい加減なことしか言わない施設長と、過酷な労働時間。統一性のない各ルーム、そこに居座るボス気取りのおばさん職員。懇切丁寧な対応をしない指導法である。全てが未完成のようだ。建前では立派な事を言ったり、或いは革新的な何かを訴えているのだろうが、本当は「いい加減なルールのもとにある、いい加減な現場」なのだ。

 

 

すいません、語彙力が足りず支離滅裂(しりめつれつ)な事を書きました。

 

とりあえず頭がいっぱいいっぱいなので、こんな感じに書きました。それではお休みなさいませ…

1章 困難と始まり

長きに渡る無職の生活がいよいよ終わりを迎えます。まずは半年間、見習いとしてパートながら介護職に勤めます。

 

思い起こせば、僕は苦渋を舐めるようなことになった。同じ学校にいた人たちは、トントン拍子で希望の職場で就職が決まり、その一方で何もない状態でいた。「いつか仕事は決まる」と信じて、求人誌に目を通したり、ハローワークに通う日々。まだ家族がいるからなんとか暮らせているものの、もしこれが1人暮らしであれば、その暮らしは、アパートという家から、ダンボールにビニールを敷くという家にランクが下がっていたかもしれない。親からは「早く仕事をしてくれないと困る」と散々言われ、働けないものだから契約していた携帯会社から支払いの請求をされ、ついには法律事務所からの催促がやって来た。不利である状況下の中、何としても見つけて出会いたいと思い、いろんな企業に回って面接をした。だが大半は「ごめんなさい」の一点張り。恋愛でも同じことが言えるが、どうやら僕は「本気」であっても、この見た目からなのか、「本気が怖い目で見てくる」と思われ、それで落とされることが多い。

 

ある時、各企業が集まった合同説明会に参加した。既卒3年以内ならOKというものであった。それを勧めてくれたのはハローワークの方であった。

 

何気なく見て回った際、介護職に目を向けた。するとその担当の方が熱心に僕の方を見て「興味があるんですか?でしたら是非見てください」と言ってきた。特に断ることはなく、何となくで見ることにした。すると、次第に人が集まり、その場所は、予め用意された10個ほどのパイプ椅子が埋まった。

 

介護職というと、閉鎖的に見えたり、病院の延長線上に思われたりする。しかし、その場所では、介護という固定概念を覆し、「家に引っ越したようにする」であったり、「管理型としてではなく、好きなように暮らせるようにしたい」という思いが伝わった。

 

「ここで働けるのなら働きたい」

 

流れに沿うように見てきたところだったが、この熱意というのは確かに伝わった。

 

「差し支えなければ、お名前とご住所を書いていただいてもよろしいでしょうか?」

 

その方が話を切り出す。

 

「あー、はい。是非」

 

僕は即答した。そして用意された紙とペンで、そこに自分の名前と住所を記入した。

 

それからしばらく経って、電話がかかってきた。その施設からだ。

 

「その節はありがとうございました。もしよろしかったら、見学してみませんか?」

 

そう言ってくれたので、よろこんで行くことにした。どうせ暇を持て余していたので、見てみようと決意した。

 

行ってみるとそこは、確かに閉鎖的には見えなかった。その施設はとても温もりを感じられるとてもいい場所だった。

 

見学を終え、担当者2名を相手に、僕に対して面接を始めた。

 

「どうでしたか?」と担当者は言う。

 

「いや…とてもいい場所だと思います。木目調のパネルとかあって、温もりを感じられると思います」

 

僕はそう答えた。すると担当者の1人は、「面白いな」と気に入ってくれたらしく、こう言った。

 

「なかなか、そういうところに目がいく人は珍しいですね。そういう風に言ってくれるのは嬉しいです」

 

とても和やかな雰囲気であった。

 

担当者は理事長にスマートフォンから電話をした。その日は来れないとなり、また別の日に面接をすることになった。

 

少し経った日、再び施設に行くことになった。今度は、理事長が来てくれた。

 

理事長、他担当者を交えての面接が始まった。理事長は僕を見るなり、こんなことを言った。

 

「介護とは違う、まだやったことのないのが君ってことだけど、まあとにかく頑張ってみたらどうだ?まずは半年間、パートとして働いてみな。それから少しずつレベルアップしていけばいいんだから」

 

理事長は男性で、かなりドライな印象を受けた。そして話はパートとして働けということになった。普通ならば合否を電話や手紙などで届くものだが、そのようなことはなく、「とりあえず」採用になった。

 

面接が終わった後、担当者の1人が、紙を僕にくれた。病院の診断を報告するための紙と、服装などについて記載された紙だ。服装について色々と質問をすると、「ジーンズやジャージといったものは着てはダメ。ただしチノパンであれば、あとは上着はTシャツで構わない」という、介護職にしては珍しいものであった。それはやはり、かしこまった感じをしないようにしようという、施設特有のアイデンティティであると考えられる。

 

そして僕はついに、仕事をすることが決まったのである。

 

これが第1章でございます。思えば長きに渡る無職の生活が終わるので、これでやっと終わったかと思うと、すごく嬉しいです。労働時間はかなり長いのですが、やはり仕事としてやる以上は、しっかりやりたいと思います。おそらくこれから入る仕事には、「社畜」というのがないと思います。だから、これから慣れていければと考えます。それでは2章に続きます。いつになるか分かりませんが。笑

 

 

すっかり、iPhoneである意味がなくなった。

今僕はASUSのZenfone 3 Laser(以下レーザー)をメインに使用していますが、つい1ヶ月前まではiPhoneユーザーでした。今のところそれを手放してまたiPhoneにしようという気持ちはありません。もしかしたら気持ちの変化でまたiPhoneに戻るかもしれませんが、しばらく慣れさせる意味で、レーザーを使っています。

 

Android端末であるレーザーを使用してからもう2ヶ月が経ちましたが、SIMフリースマホとしてはまずまずの使い勝手だと思います。たまに戻るボタンが効かなくなるバグ(あるいは個体差)がありますが、それ以外は問題はないです。iPhone5Sから始まって約4年間iPhoneユーザーだったわけですが、Android端末は別に使えないということではないので大丈夫です。

 

iPhoneに対しては、僕自身の金銭事情が厳しくなったことから、やむを得ず売ってしまったのが悔やまれますが、しばらくするとiPhoneでなければならないというのは薄れました。

 

iPhoneというのは何においても「専用」が絡みます。クラウドやケーブル、さらにはプリペイドカードまで、Googleとの統一はありません。また、モバイルバッテリーではマイクロUSBは付属しますが、Lightningケーブルは別途で購入しなければならないという点を考えても、何かとiPhoneや周辺機器は、制約があったような気がします。もちろんiPhoneユーザーだったころは、それが「当然」だと思いましたし、横でAndroidユーザーが何を言おうとも、「iPhone持ちには関係のないことだ」と思っていました。

 

Android端末のレーザーを所有して以降、考え方は変わりました。スマホにあまり興味のない人からすれば、それがiOSだろうとAndroidだろうと知らない世界の話になりますが、どっちのOSも触り、こと細かいガジェットの世界は知らないけれど、しかしある程度は知識を得た「ニワカ」な僕は、それまでのiPhoneに対してのイメージは、もろくも崩れ去りました。Googleがサービスを行っているので、アカウント作成からログイン、各種サービスも全部ひと括りで管理ができるからです。また、充電やデータ転送の際には、わざわざ別のケーブルを使わなくとも、マイクロUSBあれば大丈夫なのです。この点は、iPhoneユーザーだったころはそこまでの違いや意味などあまり気にしなかったのですが、レーザーをメインにしたお陰で、まとまるということの理由に気づいたのです。正直iPhoneユーザーである必要がなくなりました。複雑なことを嫌う僕が、複雑と思い込んだAndroidに嫌気をさしてiPhoneにした。ところが、実は別の形で複雑化していたことに気づいて、また再びAndroidに戻した結果、絡まりあった糸がキレイにほどける様になった。それだけでも嬉しかったです。

 

 

わざわざiPhoneにしなくていいんだと思ったら、少しずつAndroidとレーザーが好きになりました。これからもレーザーで頑張りたいと思います。

 

P.S. 新しいiPhoneはかなりダサいです。もう買う意味がなくなりました。さよならiPhone。今度また手に入れるときは、SEにします。
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自分へのイメチェンを考える

それまでジーンズを好まなかったのに今では好んで履くようになったり、ワックスで髪を整える気はなかったのにそれをやり始めたり、もともとメガネやサングラスなどに興味があるのでそれをファッションとして掛けてみたりなど、ここ最近の僕は、かなり自分に対しての自身がつくようになり、また、色々と研究をしています。

 

僕という人間について、第一印象は「かなり真面目な印象」であったり、「目つきが怖い」など様々です。印象は大事というのがあるように、なるべく人に不快を与えないようにキレイに整えるということに満足感を得ています。

 

最近はワックスで整えることに意義があると思い、それを実行しています。憧れのブルーノ・マーズになりたいと思えば、その人の髪型をできるだけ再現してみたり、どっしりとしたような重みのある前髪をいかに調整できるかトライしてみたり、サイドの広がりをどう抑えようかと研究したりするのが楽しいと思っています。こんなことは人生において初めてです。周りの人の評価を気にしすぎてしまう自意識過剰なところもありますが、それよりも何よりも「自分をどうカンペキに見せるか」という課題をやっています。

 

以前から爪に汚れがなく、着ているものはみすぼらしい感じにはしない。清潔感を出すために無精ヒゲを生やさず前髪を後ろの方に流してみるなどのことはやっていました。しかし、オシャレに気を遣うように本当に割と最近の話なんです。今も昔もずっと彼女という人がいないですし、本気で誰かを愛していない以上、問題があると思い、それで自分への「改造」を考えたのです。ミニ四駆にお金をつぎ込んでいた時のように夢中になってファッションの勉強を独学で学んでいます。

 

 

 

 

あまりそそらないソシャゲ

ソシャゲことソーシャルゲームというものはあまり興味がないです。

 

昔友人からの勧めでモンスターストライク(以下、モンスト)をやったことがあります。友人いわく「カンタンだから」と言われ、チュートリアルや序盤のモードはやりました。しかし完全なる初心者である僕に対し色々言っていました。

 

「いまのはこうじゃなくて、別のところから攻めなきゃ」

「ここでケージをためてから行け!」

 

そんな調子ですからコツというものは知らず、面倒になりました。すぐにアプリをアンインストールした際には、「は?アンインストールするとか無いわー」とも言われました。

 

そんな調子ですから、嫌気だってさしますし、やる気が湧かないこともありました。

 

僕としては不思議に思います。「彼らはソシャゲ、特にモンストを中心にして生きているのだろうか…」…と。全く持って理解できませんでした。

 

その一方で、これは面白いと思い長続きしているゲームがあります。それがリアルレーシング3(以下、3)です。3はエレクトリックアーツ(EA)からリリースされているスマートフォンタブレット用のレースゲームで、今最も有名なアプリであります。2013年から登場しているのですが、このゲームには本当にグラフィックの高さに驚き、ゲームとしてのバランス、各メーカーの正式なライセンス契約のもとにうまれた数々の名車、そして鈴鹿ラグナセカなどをはじめとした実在するサーキットの収録。これらはまさに端末版のグランツーリスモ、もしくはフォルツァと呼んでも不思議じゃない素晴らしいものです。

 

3のお陰で、かなり助かっていることがあります。結局は3もソシャゲのうちに入るかと思いますが、日本で作られる多くのゲームは、どれも似たようなキャラに似たようなインターフェイスのもとにあります。CMでも「いまなら○○レアがもらえる!」というようなものばかりです。「アホらしい」と呆れるわけです。しかし3には芸能人を起用しての宣伝はおろか、そのようなキャンペーンは設けていません。課金をしないと前に進めないという点ではどれも一緒です。ですが、ゲームとしての奥深さは、いくらジャンルが違えど、さすが3であるとうなずけます。

 

これからいろんなものが出てくるのですが、やはり3を越えるものはないと思います。

編集という行為を7年もやってきた。

少し間をあけてしまいましたが、ひさしぶりにブログを書きました。

 

編集ということについては、実は僕は7年前からすでにやっていました。始まりはソニーのブルーレイレコーダー内に録りためた番組からです。

 

個人で番組を編集したり、またブルーレイ、あるいはDVDにダビングすることは合法とされています。特に民放ですと必ずCMが入るので、それをこと細かくカットしていました。スポンサーが付いているわけではないので、自由自在にやりました。

 

それからしばらくして、iPhoneで撮影した動画をiMovieで編集するようになりました。操作内容はブルーレイレコーダーとは異なりますが、やはりこれでも同じように編集しました。

 

現在はAndroidのPowerDirectorで加工しています。やはり編集は僕のやりがいだと思っています。

 

不要なシーンはなるべくカットする。そういうことをするのが楽しみであります。